昭和40年8月12日 朝の御理解 ★
今、毎日、えー、御造営のあっております、こちらに、ここの建築委員の方達が、二名、または三名、毎日、いー、あちらに出向いて、朝の九時から夕方五時ごろまで、御用頂いておられます。
ホントに、いー、私は、そんなこと(だき?)度々言いますんですけれども。あなた方は別に、あちらに出、土方するわけでもなかなければ、第一手伝いするわけでもない。ただ、そう言うて、なら私が監督ぶって言うて、監督できるわけでもない。
とにかく、合楽のことがあそこであっておるのだから、その事の、おー、スムーズに行くことのためのー御祈念係じゃった。特に現場で、あなた方が、あー、そう、うん、も、ま(目)の前にそれを見ながら、そ、浮上がかかりませんように、けがあやまちがないようにという祈りをもって(おかげる?)。言うならば、毎日毎日あのう、現場の御祈念係だというふうに私が言うんです。
とに、今日はあの、福岡の(まさ子?)さんが、今日当番にあたっておって、んん、帰って参りましてから、お届けでその、(もしゅ?)にせよ、ホントに御祈念係がいりますねち。
あのう、こう、急にうち込んであるあれは、こめがろっ、米六俵の重さですかね。その、おー、それこそ御祈念したら、その見せていただきおった。そしたら、どんな過ちか、あ、どう間違うたか知らんですけどもね、あの大きな櫓をですねぇ、倒れだしたそうですたい。そうして、あと、あらあら(今日のところは?)、と回ってね、そこでせい、ふ、うんうん、ふた登っとった。それがもう、じゅわーと倒れたおかげで、もう、ホントに金光様金光様で、でしたけれど、と言ってるんですねぇ。
あー、と動きながら、私がいろいろ言うんですよ。ねぇ。例えばなるほど、あのう、今度( ? )言えば、なるほど神様が先頭に立ってござるなぁっていうなものを、もう様々な場に感じます。なるほど私共の定規じゃない、神様が先頭に立ってござるなということをです。うん。
ですけれどもそれがです、非常に神様の願いが、あー、その神様の、おー、叶うというてもです、やはり氏子の祈りの中にです。ね。私ども一人一人の、お、ことを、おー、の信心を、おー、通して、神様の願いが成就しておるんだということなんです。だから神様だけでは、どうでもおできにならないんだということです。
今日は私、いー、親教会に今日出らして頂いて、「先日から親先生、勝彦が、まぁ来年、私が御本部に行くともなれば、あー、私の信心も、少し教えておきたい」ですから、あー、そのことをご相談しましたら、そのまま、それどころじゃないから、(なかじこ?)返そうということになっておった。
けど、そのままんなっておりましたけども、ま、夏の御大祭でもすんでからと思うておりましたもんですから、まぁ、けんそのことを申し上げたんです。「そうなぁ、そんなら、あー、二十日かそのころ、(かえず?)でもしようか」とこうおっしゃいますもん。そしたら、「そりゃ、もういつでも結構ですけども、うんなら、あそこの二十日にうんなら、い、き、あのう、おー、さんかいに帰らせて頂くことにいたしましょう」と。
そしたら先生が、思い出したような声で、「あー、ほんにもう盆じゃけん、盆には( ? )お粥さんならんから、かやした帰ってきた、また帰らなんじゃいかんけん、そんならもう、いっそのこと明日かやすようにしようか」とこう言われたんです。
今度もそのことを、神様にお礼申させて頂いとりましたらですたいねぇ、『★神の悲願の成就』ということを頂くんです。なるほど、明日は十三日ですよねぇ。
あ、とにかく、ま、一年半あまりの、例えば修行を親教会でさして頂いたわけですけれども、それからうんにゃもう、もうお父さん、僕は帰ってくると言うて、その泣いて帰ったこともありますけれども、そういうこともありましたけれども、そういうようなことも神様の願いの中にあったということですねぇ。
それは、十三日の日に帰ってくるということが、今日なんかに帰ってくるということが、どういう意味合いにおいて、神様の願いが叶う、叶ったのか。それは分からんにいたしましても、十三日だというお日柄を、どうでも、親先生のことは全然考えてられないのですからね。
そうたい、もう盆に帰さん、盆にはまた( ? )ならんけん、ならもうお前、十三日に、あ、なら明日返そうと、こう言うてくださったという、何気ないその中に、神様のそうした働きを頂いてることを感じます。
それが、十四日でもいかん、十五日でもやっぱりいけないということ。十三日でなからなければいけないということ。ね。(五十八年?)十三日は、特に、神の悲願の成就する日とまでおっしゃる日ですから、そういう日柄に帰ってきて、これからどういうふうにまたか、あー、ご修行くださる、あー、引き取ってくださるかどうか分かりませんけれども、神様の願いが成就することのために、ああいう修行もあったのであり、明日ホント帰らしていただくことでもあるということになるわけです。ね。
どうぞ皆さん、信心をせっかくさして頂くわけですから、私どもの願いが成就するということは、もう有り難いのですけれども、それぞれに一つのスローガンを持たなければいけません。ね。それは、なるほど、神様の願いであろうというような願いを願いとして、私は、おかげを頂かなきゃいけない。信心が生き生きしてくる。
いわゆる、信心が生き生きして、神様の心が生き生きしてくる。ね。その神様の生き生きしたお心と、ね、氏子の願いだけではない、神の願いが成就していくことのための、私の信心にならせて頂くだけです。神様と私どもの心の中に、生き生きしたものが交流することを私は思うです。
今日私、その松岡さんの帰ってからのお届けを聞かせてもろうてから、驚きの(稲刈り?)がいるなぁと。神様の願いが成就することだからというて、修行がいらんというのじゃない。やはり御祈念がいらんというのじゃない。神様の願いが大きくそこに成就していきよる、その御造営のことの中にでも、やはり、自己に一生懸命のし、修行と、祈りが必要であるといったようなことを、感じますですねぇ。
おかげ頂きました。
6月28日 いつのり